2019年11月07日 09:20

阪野智啓 日本画展 - 三河ものがたり - 11/6~11/12

カテゴリ:toyotagarouカテゴリ:催事のご案内カテゴリ:日本画

阪野智啓 日本画展 - 三河ものがたり -

11/6(水)~11/12(火)
10:00〜19:00(最終日16:00閉場)

▪作家在廊日
11/6(水)・11/9(土)・11/10(日)・11/12(水)午後


【出品作品一部】



「槍の半蔵」F6
渡辺守綱 〔長篠の戦い〕
三河国額田郡の出身である渡辺守綱は、ほぼ同年の松平元康に早くから仕え、「槍の半蔵」の異名を取りました。三河一向一揆では一揆方に味方するものの、のちに帰参し武功を重ねます。天正三年(1575)、織田徳川連合軍と武田勝頼の軍勢が激突した長篠の戦いでは前線で戦い、山本勘助の嫡男を討ち取りました。

豊田市寺部町には渡辺家の菩提寺である#守綱寺 があります。阪野先生は守綱寺の襖絵(伝 狩野派)などの文化財の研究も関わっておられます。




「偃武(えんぶ)」 F6
徳川家康 〔大坂の陣〕
慶長二十年(1615)、大阪城を囲んだ徳川の大軍は淀君と豊臣秀頼を自害させ、ついに豊臣家を滅ぼします。ここに「元和偃武(げんわえんぶ)」を宣言し、以後270年続く「徳川の平和」を手繰り寄せました。本陣にいつもたなびく、「厭離穢土(おんりえど)」「欣求浄土(ごんぐじょうど)」(穢れた世を離れ、清らかな血を願う)の世界は、現実のものとなりました。




「君臣豊楽(くんしんほうらく)」 F10
羽柴秀吉(豊臣秀吉) 〔長久手の戦い〕
本能寺の変のあと、明智光秀や柴田勝家を破って織田家を実質支配した羽柴秀吉は、天正十二年(1584)、織田信長の次男 信雄(のぶかつ)との対立が表面化し、信雄が援助を求めた徳川家康とも交戦状態に突入しました。のちに「小牧・長久手の戦い」と称されるこの合戦は、のちの天下人が直接対決する唯一の機会となりました。




「化楽天」 F4
織田信長 〔桶狭間の戦い〕
永禄三年(1560)、三河を属国化し尾張に侵攻する今川義元の大軍に対し、まだ支配体制を確立できていない織田信長はわずか五千の軍勢で迎撃するしかありませんでした。出陣前夜、信長は幸若舞「敦盛」を舞ったといわれています。本陣の急襲に成功した織田軍は、義元をも討ち取り今川軍を敗走させました。




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